Itokazu Abuchiragama

糸数アブチラガマ

あぶちらがま動画

糸数アブチラガマは、沖縄本島南部の南城市玉城字糸数にある自然洞窟(ガマ)です。沖縄戦時、もともとは糸数集落の避難指定壕でしたが、日本軍の陣地壕や倉庫として使用され、戦場が南下するにつれて南風原陸軍病院の分室となりました。
軍医、看護婦、ひめゆり学徒隊が配属され、全長270mのガマ内は600人以上の負傷兵で埋め尽くされました。
昭和20年(1945年)5月25日の南部搬退命令により病院が搬退したあとは、糸数の住民と生き残り負傷兵、日本兵の雑居状態となりました。

その後、米軍の攻撃に遭いながらも生き残り、8月22日の米軍の投降勧告に従って、住民と負傷兵はガマを出ました。


「アブチラガマ」とは

  • 「アブ」

    深い縦の洞穴

  • 「チラ」

  • 「ガマ」

    洞窟やくぼみ

沖縄戦の概要

沖縄県公文書館提供

沖縄戦とは太平洋戦争の最終段階、1945年3月下旬から7月までの戦いを言います。
1941年に太平洋戦争が勃発し、太平洋の島々で劣勢となった日本軍は、米軍が沖縄に上陸すると見て、米軍を沖縄にくぎづけにする作戦をとります。
それは、本土決戦の準備をするための時間稼ぎであり捨石作戦でした。このため、沖縄は唯一の地上戦の場となります。
米軍は1945年の4月1日に沖縄本島の中部に上陸し、日本軍の指令部のあった首里に向かいます。米軍の圧倒的な戦力に、首里の陥落が目前にせまったところで日本軍は南部へ撤退します。
米軍の上陸地点から首里城指令部までを中部戦線、首里以南を南部戦線と言います。
南部戦線では十数万人の一般住民が巻き込まれ悲惨な結末を迎えることになります。
6月23日、牛島司令官の自決により日本軍の組織的戦闘は終了しますが、その後も各地で戦闘が続ぎ、米軍が作戦修了を宣言したのは7月2日のことでした。
この90日間にわたる沖縄戦で、日本兵6万6千人、沖縄出身兵2万8千人、米兵1万2干人、一般住民9万4千人が亡くなりました。
当時の沖縄県の人口は約50万人でしたから、沖縄県民の4人に1人が亡くなったことになります。

糸数アブチラガマを中心にした戦闘経過概要はこちら


写真で見ようアブチラガマ360度パノラマ
写真で見よう アブチラガマ360度パノラマ


入壕料入壕料

  大人 小人 減免対象者
個人 300円 150円 50円
団体20人以上 250円 150円 50円

※入壕時間は約1時間となります。
※懐中電灯レンタル 100円
※大人(高校生以上)小人(小学生~中学生)
※減免対象者(身体障害者福祉法15条4項の規定に基づく身体障害者手帳の交付を受けている者。)


専属ガイド料金専属ガイド料金一覧表

人数 個人 団体 学校用 学校用下見
1~4名 1500円 3000円 3000円 1500円
5~9名 2000円
10~39名 3000円
40名まで ※40名以上の場合は、2グループに分けてください。
41名から 5000円

※上記ガイド料金は一グループの料金となります。
※他のガイド団体と重複しないように確認してください。
※ガイド料金の詳細・注意事項等は、各種申込書またはお電話にてご確認ください。

営業時間営業時間

午前9時~午後5時 年中無休
年末年始(12/29~1/3)を除く
予約が必要です。
懐中電灯、ガイドなしでは入壕できません。
修学旅行・下見・一般団体はFAXでの予約に
なりますが、個人の場合は電話予約でも可能です。
専属ガイド料金は、申込書または料金表にてご確認ください。